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大雁塔とともに残る唐代の遺跡、小雁塔
長安、現在の西安市は、かつての中国王朝の中心地。周から唐までの千二百年間、十一代の王朝がここに都をおき、殷賑(いんしん)をきわめた。名高いシルクロードは、長安が起点であり、終点でもあった。
長安の都は、唐代に入ると東と西の人と文明とが行きかい、まさに"花開く"世界第一の国際都市として栄えた。だが、栄華を誇った都も、唐王朝の滅亡とともに、消え失せてしまったのである。
唐代の長安城は、東西9.7キロ、南北8.7キロメートルにも及び、日本の奈良平城京の4倍、平安京の3倍の広さがあった。当時の長安の城内は南北に十一条、東西に十条と、碁盤の目状に道路が走り、百十の坊に区画されていた。皇城の朱雀門から南の明徳門に至る幅約150メートルの都大路が、長安市街を東西に分けていたという。当時の大路は、今日でも残っており、今は大通りの両側をプラタナスの並木が続いているのを見ることができる。
名高い大雁塔は大慈恩寺の境内にある。玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典を納めるために建立されたものだ。
この塔は、はじめは五層であったがその後修復され、現在では高さ64メートル、七層となっている。
小雁塔は、則天武后が亡き夫高宗のために建立した大薦福寺の境内にある。インドから帰った高僧義浄が仏典の翻訳を始めた頃建てられたものだ。現在は、13層だが、かつては15層あったという。
現在の西安市は、明代に造られた長安の城郭をもとにしており、市の中央に位置する鐘楼に登ると、鐘楼を起点として、東西南北へと大通りが伸びそれぞれの門に達する市街地を一望にできる。
浹西省(せんせいしょう)の省都・西安市。現在、人口250万人を数え、唐代の長安に倍する大都市となっている。鐘楼付近の盛り場は、かつてのこの地の繁栄を知ってか知らずか、ショッピングや散策を楽しむ大勢の人々であふれている。
茉莉花VOL08/1992夏号より
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