※茉莉花掲載時の肩書きのまま掲載しております。
私は「出会い」という言葉が大好きです。「出る」という言葉と「会う」という言葉の合体なのでしょうが、とても美しい響きをもっています。
「人生」は「出会い」です-私たちがこの世に生まれるということは、よほどの因縁である-その生まれ難い人生に生命をいただき、そのうえ、良き師に会うことができ、良き友に会うこともできます。
人間だからこそ会えるものに「仏法」があります。苦悩の衆生(生物)を必ず救い、必ず仏にしようと常に働きかけてくださっている仏の誓願(救済の誓い)との出会いは、私たちにとってこの上なく大切な出会いなのです。
広島には仏法に出会える素晴らしい生活習慣として「お聴聞」があります。それは、お寺へ参って仏様の教えを聞くことですが、辞書には「往来」という解釈があり、「聴」は「往」で「聞」は「来」、「往きて聴けば、聞こえ来る」、つまり、足を運んではじめて意味をなすことを教えています。
情報化時代と言われてはいても、座していて良い結果は得られません。師を尋ね、道を求めてお寺参りをする積極的な行動が尊いのです。そうすれば「あなたを必ず生きる仏にしよう」と喚んでくださる仏の喚び声、例えて言えば「如来(仏様)のラブコール」が聞こえてくるはずです。
念仏は、自分の欲望を仏様に祈願することではありません。念仏とは「すべての者に対して、真実のひかり(智慧)といのち(慈悲)となり、人の世を生き抜く目となり、足となって荘厳させ(かざり)、二度と迷うことのない浄土に導いて仏にしよう!」というナモアミダブツ(南無阿弥陀仏)の仏様の喚び声(ラブコール)に、あなたがナモアミダブツのラブコールで応え、生き抜くことなのです。
今日は私の誕生日
今日も来る日も誕生日
育て出されし誕生日
迷い離るる誕生日
仏と出会いし誕生日
弥陀の浄土に生まれしめ
仏にならしむ誕生日
生きる道開けし誕生日
今日は私の誕生日
今日も来る日も誕生日
この詩は江津市の嘉戸大恵さんがナモアミダブツ(ラブコール)の心を詩に綴られたものです(一部補作)。
あなたは、「聴聞」・「往来」を経て、仏様にどのようなカタチでラブコールを送ることができるでしょう?
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