さて、除夜の鐘の108のことですが、お釈迦様は84000の法門を説かれたといわれます。これは、煩悩無量(煩悩の数に限りがない)ということです。それをつづめれば108にもなり、さらに3にもおさまります。 つまり、むさぼり、いかり、迷妄(道理に通じる智慧の欠けたること)の三毒の煩悩です。この根本煩悩に明け暮れる私たちを見抜き、救いの手を差しのべてくださるのが阿弥陀様なのです。
※「くらしの中に生きている仏教語」より
その苦しみを乗りこえて-四苦八苦(しくはっく)―
仏教の目的はさとりであり、釈尊最初の説法は「人生は苦なり」であった。そして苦のもとは、煩悩の集積による。では、世の中にはどんな苦しみがあるのか?
苦しみを乗りこえるには、まず苦しみの内容を知らねばならない。ということで整理されたのが「四苦八苦」である。
「四苦」とは、ただ生きているというだけで味わう根本的な苦しみで、「生苦(しょうく)」(生まれ生きる苦しみ)、「老苦」(老の苦しみ)、「病苦」(病気になる苦しみ)、「死苦」(死ぬ苦しみ)をいう。これに、逃れえぬ精神的な苦しみ、「愛別離苦」(愛する者と別れる苦しみ)、「怨憎会苦(おんそうえく)」(いやなものとつきあわなければならない苦しみ)、「求不得苦(じふとくく)」(ほしいものが手に入らない苦しみ)、「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」(人間の身心を形成する五要素から起ごる苦しみ)を加えて「八苦」となる。
この「四苦八苦」、今はすいぶん軽いニュアンスで使われている。「借金で四苦八苦」「いやな女(男)に追っかけられ四苦八苦」などなど、死んでしまいたいほどの深刻さはなく、ほとんどユーモラスでさえある。
ともあれ、「四苦八苦」が生活の場である我々にとっては、「煩悩を断つことなくさとりを得る道」一往生浄土のみ教えに耳を傾けるのか苦しみを乗りこえる早道というものではなかろうか。
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