昭和9年、村をあげての大イベント 報恩寺の所在する大毛寺部落は、今でこそ付近の山々を開発して、約2,300世帯の新興住宅地となっているが、60年前は、平地に家が200戸余り点在する部落で、当時の亀山村全体を合わせても、520戸位。農作を中心とした、のどかな田園地帯であった。公民館・集会所・学校の講堂とてない時代であるから、村のほぼ中心に位置する報恩寺は、門信徒の心のより所であると同時に、時には映画館、時には村の各種団体の総会会場、新年宴会会場等々に利用されて、たくさんの人が、さまざまに関わってきた。それだけに寺にとって大事な継職法要は村をあげての大イペントであったのだろう。稚児さんの大行列、各部落からの俵もみ、昼の法要、夜には境内にテントを張りめぐらせ、演芸大会。まことににぎやかな門信徒総出演の三日三晩であった。その余韻もさめやらぬうちに、昭和12年目華事変、昭和16年には太平洋戦争に突入したのである。そして戦いすんで日が暮れて、はや50年。報恩寺も激動する世にあって、時代の要求に適した新しいスタイルで、輝く命を燃焼させるエネルギーの発信基地として、大切な役割を要求されている。 昭和9年12月(1934年)報恩寺第十四世住職釈干秋の継職慶讃法要の記念写真。 茉莉花VOL.14より(平成6年)
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